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- 謎めいた死 -

チャイコフスキー(1840〜1893)と言えば、ご存知、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」のバレエ音楽を生み出したロシアの作曲家として有名ですね。他にもオペラ、交響曲、ピアノ曲、声楽曲なども数多く残しています。
彼は、7人兄弟の次男として誕生しました。幼少の頃から優れた音楽の才能を発揮しますが、父親の意思によって、法律学校へ寄宿生として通う事になります。母親と離れ離れの生活は、お母さん子だった彼にとっては、とても辛い経験でした。彼は、この苦痛を一生忘れる事が出来なかったそうです。
そんな彼でしたが、法律学校では真面目に勉強をこなし、卒業すると、法務省の役人として働き始めます。しかし、音楽への熱い思いを忘れられず、23歳の時に法務省を辞めて音楽院へ入学します。本格的に音楽家としての一歩を踏み出したのです。もちろん、優秀な成績で卒業し、講師の仕事や作曲活動をして、数々の傑作を生み出し、そして、53歳でこの世を去りました。
死因は、40歳で亡くなった母親と同じ「コレラ」に感染した為だと言われてきました。レストランで生水を飲んだというのですが、これには不可解な点が多く、謎が残されています。そこで新たな説が浮上しました。もしかしたら、自殺を強要されて死んだのではないか・・・。
実は、彼は、同性愛者であり、その事で彼自身悩んでいました。現在では考えられない事かもしれませんが、当時は、とんでもない事でした。彼は、周囲にバレるのではないかと恐れていたのです。必死でその事を隠そうとしていました。その為に、好きでもない女性とお付き合いをしたり、結婚したりしています。
裕福で音楽好きな未亡人、フォン・メックは、彼の作品のファンになり、彼に入れ込み、多額の報酬で作品を依頼したり、毎年、高額な資金を送るなど、資金援助を行っていました。2人の交際は14年間文通を通してのみ行われましたが、一度も会う事はなかったそうです。
また、アントニーナという女性は、熱烈なラブレターを送って、彼に積極的に求婚します。断り続けた彼ですが、会わなければ自殺する、と脅しを受け、なんと1877年に結婚してしまいます。この頃は、周りの目が気になって来た頃でもあったので、彼女の押しにも負けてしまいました。
兄弟のような関係を望んでいた彼でしたが、もちろんそうは行かず、次第に彼女から遠ざかるようになります。そして、しまいには、自殺未遂までおこしてしまうのです。見かねた弟達が、2人を別れさせようとしましたが、アントニーナは納得しませんでした。正式に離婚はできませんでしたが、彼はスイスへ逃げ、もう二度と彼女と再会する事はなかったのです。
そんな彼が愛した人は、彼の甥だったウラディーミル・ダヴィドフだと言われています。他にも数人の愛人たちがいたようで、ある伯爵の甥との関係がロシア皇帝の耳に入ってしまいます。
皇帝は、検事総長ヤコビにチャイコフスキーの処理を任せます。ヤコビはチャイコフスキーの法律学校時代の同級生でした。ヤコビは、秘密で法廷を開き、チャイコフスキーの事件が公に知られないように、彼に自殺を強要する判決を下したのです。大作曲家と母校の名誉を守るために。
「第6交響曲」を初演した数日後、彼は亡くなりました。彼自身が最高峰の作品だと自信を持っていたこの曲は、「悲愴」と名付けられ、今でも世界中で愛され続けている名曲となっています。本当にコレラだったのか、はたまた、判決に従って、毒薬を飲んで自ら命を絶ったのか。どちらの説が正しいのか、真相は誰にもわかりません。
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